2006年12月


   第15回アジア競技大会2006ドーハ報告書


                  社団法人日本ボディビル連盟
2006アジア競技大会ボディビルチーム監督
競技力向上委員会委員長
 朝 生 照 雄

≪前回大会後の重点強化策≫
 前回の釜山アジア大会が初参加でしたが全階級出場させて頂き、銀2個銅1個を含む7人が入賞致しました。
過去の成績をみても日本選手は70kg級、75kg級の完成度が高かったが、最近は日本クラス別選手権及び日本選手権においては65kg級、80kg級の選手にも国際大会での活躍が見られた。
 したがって、このクラスの選手の国際経験を積ませる意味で日韓親善、東アジア、アジア選手権、世界選手権等に派遣し、その都度監督、コーチが指示を行い、日々のトレーニングに活用するようにしてきた。
 課題としては、若い選手の育成を図ると共に選手各自課題は違うが共通目標としてはバランスのとれたバルクアップ(筋量増加)、表現力、カラーリング技術の向上を図ってきた。
≪選手選考の経過と大会対策≫
 選手の選考は7月30日に行われた日本クラス別選手権大会の終了後に開催された選考委員会(当日の審査員、執行部役員)において決定された。
 代表が8人から4人になったことから8クラスのうち優勝しても代表にはなれず、逆に日本クラス別で優勝できなくても最近の国際大会で活躍し、アジアに強い選手を選考した。 選考の原則は優勝者でありカタールで勝てるクラスということで70kg・75kg・80kg級の2位以上の選手を選出した
 大会の対策として代表選手を国立科学スポーツセンターへ集め2回の強化研修、日本選手権(10月1日)に代表選手全員を参加させ体調、表現力などを見て改善など指示してきた。
≪現地でのコンディショニング≫
 ボディビル競技の最終調整は食事で決まる程食事が重要で事前にJOCを通じて現地の食事を照会したところ、前回の釜山大会同様さまざまな料理があることは分かったがボディビルダー用の食事の状況はハッキリしなかった。
 結果、現地では無塩、無油の肉類は無くライスにも油が使われていた。 唯一ゆで卵があったので、選手はそのゆで卵と日本より持参したツナの缶詰や米もレトルトのものを食べ大会に備えた。
 コンディションの調整の仕方は選手個々に違っており最終段階では油も塩分もとる人もいるし、最後まで摂らないで調整する人もいるので、摂らないで調整する選手にとってはコンディショニングが難しかった。 どちらの方法が良いというのではなく、今までのやり方が出来たかどうかで、2位の谷野選手、4位の近藤選手とも調整の仕方は全然違うが2選手とも良い成果をあげることができた。 トレーニング施設については充実しており、トレーニングは十分することができた。
現地入りして調子を維持出来た人と調子を上げることが出来なかった人で成績が違ってしまった。
≪各種目の試合経過と戦評≫
 12月7日に検量があり4選手ともパスしコンディションは上々であった。 翌日から2日間で4階級ずつ競技が行われ、2日間とも午前中に予選、午後に決勝が行われた。
 70kg級には18人の選手がエントリーし近藤、須江の2選手が出場した。 近藤選手は自身最高とまでいえる仕上がりで予選を5位、決勝では得意のフリーポーズで4位に入賞した。 この階級には昨年のアジア1位と3位の選手が出場しており、それぞれ5位、7位になっているので近藤選手の4位は価値ある入賞といえる。 須江選手は食事が自己の調整方法と合わず、最後まで苦労し、本人にとってはベストでは無かったがまずまずに仕上げたところ、予選でのポジションが照明のあたらない最悪の場所になってしまい、懸命にアピールしても目立つことは出来なかった。 結果予選10位という考えられない成績で終わってしまった。
 次の75kg級は9人がエントリーし、谷野選手は予選を2位、決勝も堂々の2位となり銀メダルを獲得した。 谷野選手は本年度の日本選手権優勝者であり、食事が不十分の中、好調を維持し、本来の実力を発揮した。 この階級には、前年度のアジア選手権の1位、2位、本年の世界3位の選手が出場しており、人数こそ少ないが大変レベルの高い中で2位は十分健闘したと言える。
 2日目は80kg級に12人がエントリーし、相川選手が出場した。 前年アジア選手権1位、2位の選手のほか重量級ともなると西アジアの選手が多く出場している。 相川選手はカタールに入ってからは、入念に調整していたがやはり食事が合わなかったのか、大会の2日前に見た時より張りが無く萎んでいた。 本来の調子で戦えなかったのは残念で結果も11位であった。
≪競技の総評と反省≫
 今回のアジア大会はアジアレベルというより、世界トップ級が多数出場しており世界大会に匹敵する程の大会であった。 日本では今まで日本のトップを世界大会に、2番手の選手あるいは将来世界で活躍出来る選手をアジア選手権に派遣する傾向にあった。 今回のアジア大会では世界で活躍していてもアジア選手権に出場していないと必ずしもメダルに届いていない。
 75kg2位の谷野選手は過去2度、アジアで優勝をしており、70kg4位の近藤選手も3年連続3位に入っている。 それに対して須江選手、相川選手とも日本と世界では活躍しているがアジア選手権ではあまり出場していないので実績も残していなかった。
 今回は4人の派遣であったが、このままでは次回はさらに減らされてしまうことが懸念される。このような点から今後アジア選手権にも毎年トップ級の選手を送り、実績を残していくことが派遣人数を確保する上で必要と考える。 あわせて、体を作るにはトレーニングに相当年数がかかるが、選手の世代交代も進むよう若い選手の育成が急務と考える。
 また、今回のように12月に行われる場合は選手選考も出来るだけ遅くし、一回の選考ではなく1、2年前のアジア選手権の実績などを考慮した選考をしていくべきと考える。
 次に食事の事では、大会期間中ビルダー用の食事が用意されず、持参した食べ物と食堂で少しでも食べられる物を選んで食べ、そのような状況でも好成績を修めた選手もいるので調整の仕方は個々に違うが、どのような状況でも対応出来る様工夫と研究がさらに必要と考える。 その事から、今回は大会の4日前に現地入りしたが、選手の体調管理からするとできれば今後可能な限り大会直前まで日本で調整できることを希望していきたい。
選手村の生活≫
宿舎からトレーニング場まで近く、特に設備、器具とも釜山大会と比較にならない程充実していた。 食堂については前述しましたが、無塩、無油の食事を提供して欲しかった。
 宿舎はほぼ満足ですが、シャワーのみではなく、疲労回復、体重調整、コンディション調整にも風呂は必要だった。 また、大会期間中と終了後に他の5競技の応援に行き、食堂やトレーニング場でも他の競技の選手とパワーアップ法の話等をしたことは、お互いプラスになり競技間の交流の大切さも実感して大変充実した時間となりました。
≪おわりに≫
 今回は会長が宿泊の事情から現地に行くことを最終的に断念され心細くもありましたが、
出発の前日、新高輪ホテルに会長と奥様、小西さんも激励に来てくださり、会長からは役員選手全員に靖国神社のお守りをいただきました。 ともかく6人で協力し合い、皆が一つでもいい成績を残せるようチームワーク良くやることを心がける様にしました。 10日間青田コーチと選手4人での生活でしたから、時には青田コーチに苦言を呈すこともあり、選手にも注文を付ける事もありましたが、皆良く互いに気を使いまとまりがありました。
 ボディビル日本代表として堂々と皆精一杯頑張った事をお伝えして私の報告を終わります。