2005年1月
    年 頭 所 感


        強 さ と 優 し さ


                   社団法人日本ボディビル連盟
                     会 長  玉  利    齊

 「強くなければ生きられない、優しくなければ生きる資格がない」とは、ハードボイルド作家
レイモンド・チャンドラーの作品の中の名台詞である。
 確かに、昨年を顧みても、我々を取り巻く環境は多くの天災・人災に満ち、平穏に生きるのに困難な年だったと言えるかも知れない。 であるからこそ現実の波乱に呑み込まれずに強く自己を確立してゆくことは古今東西を問わず難しいことに違いない。 「強くなければ生きられない」とチャンドラーが云っているのはそのあたりの事情をさしているのだろう。
 では、人間にとって強さとは何だろうか。 また、どの様な強さを求めるべきかを考えてみたい。 強さに対する思い入れは、それぞれの人の性格や能力や立場や目的によって異なるもので決して画一的なものではない。
 例えば、スポーツに限って見ても、マラソン選手とレスリング選手では、求める強さは異なる。 マラソン選手は42.5kmをより速く走ることを追求し、レスリング選手はマットに相手を倒し押さえつけることをひたすらに求める。
 スポーツ選手でさえ、求める強さが種目によってこれだけ違うのだから、まして広く社会で生きる人達では、それぞれの価値観や人生の目的によって、求める強さが千差万別と云えるほど異なるのは当然のことである。
 さて、我がボディビル界が求める強さとは一体何だろうか。 選手の場合は競技で勝利する為の筋肉の鍛え込みと表現力が至上の目的と云えるかも知れない。 ボディビルの魅力は筋肉の強大さ、美しさ、健康等に大別されるが、何を第一に求めるかは、それぞれの人の目的、年令、さらには感性によって変わってくる。
 しかし、強大さ(ストレングス)も、美しさ(ビューティ)も、健康(ヘルス)に支えられなければ充分に発揮することは出来ない。
 このことは、ボディビル愛好者やスポーツマンに限らず、人間である以上全ての人々に欠かすことの出来ない共通の要件である。
 強さの形は求める人によって異なる多様性に満ちているが、どうやら眞の強さとは、人間の夢や可能性を生かす原動力となる活力に満ちた健康な肉体にこそ万人に共通な真実が宿っていると云えるのではないだろうか。
 但し、その健康はあくまで肉体と精神二つながらの豊かさとバランスに裏付けられなければレイモンド・チャンドラーから「優しくなければ生きる資格がない」と決め付けられても仕方がない。
 優しさとは、異性に対する愛情だけではなく、自己を支えて呉れる人々は勿論、社会や自然に対する大いなる愛に通じるものと理解したい。
 ボディビルは人間が優しさを生かす為の強さへの追求であると信じたい。
 年頭に当って皆様のご健勝とご活躍を心から祈念申し上げるとともに、我々が求めるボディビルの原点に思いをめぐらせた次第である。