2001年9月18日

  
 会 長 メ ッ セ ー ジ

     2001年アジアボディビル選手権大会及び
 
        アジアボディビル連盟(ABBF)会議総括

 
                   社団法人日本ボディビル連盟
                     会 長  玉  利    齊 

 2001年度、第37回アジアボディビル選手権大会が釜山で開催され、今回は男女合同の大会であったので、日本選手団は役員・選手総勢24名で参加した。
 成田、関空、名古屋、福岡の4班に分かれての釜山行きであったが、大部分は成田出発であったので、成田空港のロビーで結団式を行い、全力を尽くすこと、フェアーに徹すること、団体行動のルールを守ること、チームの和を尊重すること等を誓い合った。
 釜山空港には、顔見知りの韓国ボディビル連盟(KBBF)の役員が多数出迎えてくれ、直ちにバスでホテルに直行する。

 7日は早朝より、チームマネージャー会議、ジャッジズ会議、ウエイン等が厳格に実施され、日本選手は全員パスし、臨戦体勢が出来上がる。
 午後からはアジアボディビル連盟(ABBF)の常任理事会と総会が開催される。
 総会の席上、キム・ナム・ハクABBF会長が辞意を表明し、突然のことなので多くの役員が遺留したが、結論として辞任は承認された。
 辞任の理由は、自分の年来の目的であったアジア大会にボディビル競技の参加が実現したこと、アンチドーピング・ムーブメントがABBF内に大分徹底してきたこと等を考慮して、一区切りついたので辞任したいが去就はABBFに任せたい。と云うものであった。
 これに対し、韓国ボディビル連盟の代表は、すでにキム会長は韓国ボディビル連盟の会長を辞めているので、ABBFの会長の辞任も承認するのが筋であるとの意見だった。
 我々は、アジアにおけるボディビルの発展に尽力し大きな成果を上げたキム・ナム・ハク会長の功績を高く評価するとともに、辞意に関しては本人の意思を尊重することで対応した。
 いずれにしても韓国ボディビル連盟は、すでにキム・ダク・ヒョン会長、チャン・ボー・ヨン専務理事が決定し、新体制で2002年に釜山で開催される第14回アジア大会に臨む準備を着々と進めている状況だった。

 さて、大会の結果は別表のとおりで、詳細については審査員として参加した政枝氏や、プレイングマネージャーとして参加した朝生氏のレポートを見て頂きたい。
 私が感じたことは、8月のワールドゲームズでは韓国を追抜いたが、正念場はアジア選手権と思っていたが、やはり韓国選手の層は厚く底力を見た思いだった。
 来年のアジア大会は余程JBBFとして気を入れて対さないとメダルラッシュは簡単には実現出来ないだろう。
 日本選手の強化策の一つとして重要と思ったことは国際大会ではカラーの使用が許可されているので、カラーリングの技術を研究し向上させることが今後の課題と云うことである。
 ちなみに、ある選手はカラーを濃く厚く塗りすぎた為、筋肉の細かく張りつめた迫力が感じられず明らかにマイナスだった。ABBFのトップレベルの役員達からも、何であんなカラーリングをするのかと云われた次第だ。
 それと、ある選手は昨年より抜群の進歩を示し、メダル獲得の可能性もあったと思うが、フリーポージングで余りに力み過ぎ、苦しげな表情が多く損をしたと思われる。
 筋肉づくりは、個人個人が永い時間をかけてトレーニングと栄養と休養の生活管理を徹底するのが基本であるが、ポージングやカラーリングは日本代表決定選手や候補選手等を中心に、今後、競技力向上委員会が研究を進める必要があるだろう。
 ドーピングに関しては、一昨年からIOCのドーピング委員会のメンバーであるブラジルのエドワード・デ・ローゼ博士がアジア大会に参加し、厳正に対応してから選手間のモラルも向上しつつあることは喜ばしい。
 今回もメダリストは全員ドーピングテストを実施されたことは、今後、日本選手にとって有利に展開することと思われる。
 今回のデリゲーションは、朝生氏、大河原氏、臼井氏等のアジア大会出場経験豊かな若手役員達が活躍してくれたので選手達とのコミュニケーションも良く、チームワークがスムースだったことは大きな収穫だった。
 役員の協力、選手の健闘に心から感謝する次第である。

 では、JBBFの限り無き前進を目指して。